「今日は、ペアになって相手をスケッチしてください」
美術の先生は言いました。
出、出た~!学校あるある闇文化『2人組になってください』。
高校2年生のクラス替えでこんな自分にも友達が2人出来たのだけど、美術の授業にはその2人はいなかった。よく覚えてないけど美術は選択授業だったのだろう。たぶん。
元ボッチが1人で授業に参加するとどうなるだろうか。そう、組む相手がいない。固定パーティーのどこにも所属できない。
「自分シーフなんですけど枠空いてますか…?」と見知らぬパーティーのリーダーに近付いたならば「ヒーラー不足で白魔か赤魔募集中です、ごめんなさい^^;」と返ってくる寂寥感を味わうのはもうゲームの中だけでいっぱいいっぱいなんだ。孤高のシーフから引く手数多の赤魔導士にジョブチェンジしたい。リアルでも。
どうしたものかと美術室をぐるりと見回していると、横山さんと目が合った。
「ぽいプ、組む?」
「あっ うん」
“あっ”はコミュ障が声を発するために必要な準備行動である。言いたくなくても考える前に口から出てしまうのである。出ちゃうんだってば。
そんなこんなで横山さんと組むことになった。おぉマリアよ救世主よ。
横山さんは自分と同じクラスだ。横尾さんと横田さんとで3人セットのイメージが強くて3人とも少しふくよかだった。
話はちょっと逸れるのだけど、クラスの中では自分と友達2人と横山横尾横田さんの6人だけ、女子の中で髪が黒かった。他の女子はみんながみんな金髪か茶髪のギャルだった。
1年の時のクラスメートはみんな髪が黒かったのでクラス替え直後は正直ビビってた。もう流行は過ぎていると思ってたルーズソックスがまだ何人かいたし、まつ毛とか爆発してた。
ギャルの1人が「ちょっとww目の裏からマスカラの塊でてきたんだけどwww」とかはしゃいでいるようなクラスだった。なにそれ怖い。
黒髪6人組とギャル。陰と陽。見事に太陰太極図の様相を呈していた。
ボッチだった1年生に対して2年生からは陰陽カースト制度か。先が思いやられるな…と戦慄していた。が、予想に反して虐めは全くなかった。それどころか中途半端に伸びた髪を友達に結ばれていると、教室を出ていくギャル達から「かわい~♪」と声を掛けられたりした。見た目がギャルなだけでみんな心優しい女の子たちだった。「アハ、ハハッ」苦笑いを返すことしか知らない壊れたマスコットになっていた。いっそネズミの着ぐるみを被りたい。
そんな太陰太極図において”こちら側”と勝手に位置付けていた横山さんから声を掛けてくれた。本当にありがとう救世主。ホッと安堵してイスを横山さんの近くへ寄せるのであった。
:
:
「貞子とかどうかな」
救世主こと横山さんはおもむろにイスに深く腰掛け、サラサラなロングヘアーを前に寄せて項垂れた。
「貞子だ」
一瞬で横山さんが貞子になった。夢中で貞子をスケッチした。
※画像は記憶で描いたイメージです
次に横山さんが自分をスケッチして(デフォルメチックな可愛らしい雰囲気の絵だった)、再び自分のターン。
「あたし未亡人できるよ」
と横山さんは言う。どうした?横山さん、隠し子でもいたんですか。
横山さんはおもむろにペンを一本取り出し、長い髪の毛をペンに巻き付けて、テクニカルな動きで髪の毛はあっという間に団子状になった。そして横山さんが横を向く。
そこにはなんとぁ、ふくよかさによくお似合いの、哀愁漂う完璧な未亡人がいらっしゃるではございませんか。
※画像は記憶で描いたイメージです
横山さんは、分かっていたのだ。そのふくよかさはとてつもないポテンシャルを秘めているのだと自負していた。
これまた夢中になってスケッチした。そして10分ほどで素敵な未亡人の横顔が完成した。我ながらとてもよく出来たと思う。最後に右上にでかでかと未亡人と追記した。
横山さんに見せるとスタンディングオベーションをしてくれた。なんて素晴らしい未亡人を生み出してしまったんだと、画板を持つ手が震えた(多少の脚色を含む)。
:
:
その年の文化祭。ぶらぶらと展示物を眺めていたら、美術系の展示ブースに優秀作品として例の未亡人の絵が展示されていた。選択授業の作品も展示対象だったのか!ちょっと嬉しい。
でも、違和感を感じた。何かがおかしい。そうだ、横山さんの右側に書いてあった『未亡人』という言葉が無い。なぜだ?
近付いて、よ~く見てみると、『未亡人』の文字の上に、紙が貼られていた。
そう、鉛筆で行書体を再現した渾身の『未亡人』が、隠されていたのだ。
おい先生!!人の作品に勝手に手を加えるとか、なんてことをしてくれる!このスケッチは『未亡人』という文字があってこそ、完成された作品になるんだよ!表現の自由を奪ってくれるな!
当時はそれなりにショックだった。だが、落ち込んでいるところを他人に見せたら死ぬと思っているタイプのポケモンなので「ちょっと~なんか貼られてる~(笑)」と近くにいた友達に小さく呟くだけで終わった。
今思えば大勢の親御さんが見に来ていたし、不謹慎なことこの上ないのだけど。
授業で作った作品が返却されることは無かったので未亡人があの後どうなったのかは分からないけど
未亡人の横山さんは、今でも心の中にいるよ。
コメント