学生時代、貧乏だった話(中編) ~誰もが持病を抱えてる~

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◆親父!ピンチ!わいも!ピンチ!

「親父が救急搬送された」

大学の喫煙所でだべっていたら、母からそんなメールが届いた。

母ちゃん、ついにヤったのか!?

長く感じた寒い冬がやっと終わり、配属する研究室が決まってあとは4年生に進級するのを待つだけとなった春先の出来事だった。

喫煙所にいた留年先輩から「大丈夫なん?」と聞かれ「分からんけど、多分」と曖昧に返事をしてドタバタと大学を出た。

病院に着いた。そこは当時、じいちゃんが最期まで入院していた馴染みの病院だ。そういえば当時、じいちゃんが死んでから1年も経っていなかった気がする。

じいちゃんは難病がどうだかで病理解剖されていた。じいちゃんはきっと医学に貢献できたのだとおもう。

国の為、道の為になってるよ、じいちゃん。

じいちゃんとの思い出、ほとんど無いんだけどさ。

結論から言うと、母はヤってなかった。脳梗塞らしい。しばらくは投薬治療をしていくとのこと。

「親父はしばらく働けねーから、もう学費出せねーわ。ぶっちゃけ生活費もヤバイ」

あまり焦っていない調子で母はそう言った。

やっぱり実家は貧乏だった。

まぁ分かる、わかるよ。父はもともと糖尿だったから、いつどうなってもおかしくはないと思っていた。自分が物心ついた時にはもう糖尿の薬飲んでいたもの。

学費を半分払ってもらっている手前「あ、そう…」と返事をするしかなかった。

ふと思い出したので大学時代より未来の話をここに書かせて頂く。

ぽいぽいプリン自身も就職して健康診断をきちんと受けるようになってからは毎回「即刻病院へ行け」という結果が出る。不健康の子孫は不健康になるしかなかったようだ。

地元の総合病院へ行くと血液を抜かれたりレントゲンを撮られたりした。

「この歳でこの数値は遺伝であることは状況証拠的に確定的に明らか。遺伝子検査する?1~2万かかるけど。毎日薬を飲んで数値を下げていかないと、早くて40代で心臓が詰まって死ぬよ」

白衣のおじさんが少しだけニヤけながらそう言った。細木数子かい?ちょっとリスペクトしてないかい??もちろんおじさんはブロント語なんて喋っていないので多少の脚色を含む。死の宣告が趣味だった細木数子氏も、この頃は生きてたんだよなぁ。

おじさんは妙に淡々としていて無感情に感じた。医者にはサイコパスが多いとか聞いたけど、この人もそうだったのかもしれない。

遺伝子検査はお金がなかったので断った。さっさと一人暮らしを始めてしまったからそんなに貯金がなかった。

一旦2ヶ月分の薬が処方されたけど、正直安くはない。20代前半から薬を飲み続けて延命した場合、死ぬまでに飲む薬代をザッと計算すると250万円弱になった。

うーん。なんて生きるコスパが悪いんだ。

人間にはせっかく寿命ってシステムが搭載されているのだから、無理に長生きせず早めにポックリ終わりたい。中途半端に発病して無駄に生き長らえてしまったらと思うとゾっとするけど。

そんなこんなで2ヶ月分の薬を飲み終わり、それ以降病院へ通うことはなかった。今では健康診断のたびに「かかりつけ医に通っています」と嘘をついている。「この数値でまだ様子見してんの…!?」と年々健康診断の内科医の顔が険しくなってきたので薬を貰うことにした。

そんな話は置いといて。

必要な単位は全て取り終わっていて残りは卒業研究だけだったのだけど、1年在籍するためには150万円は絶対かかるらしい。あんまりだ。たったの数単位だぞ。

入学費を貸してくれたばあちゃんにはこれ以上頼るわけにはいかなかったので、1年間休学してバイトで当面の生活費を稼ぎ、大学に復帰する時に少しだけ奨学金を借りるプランを立てた。

社会に出るのが1年遅れてしまうけど無理はしたくない。

ぶっちゃけ同じ部活の人たちを見渡しても1年や2年の留年は当たり前だったからあまり気にならなかった。

研究室の教授には「すんません、お金無いんで1年休学します」と伝え「いつでも戻っておいで」とシンプルで優しい返事を貰った。ありがたい。

最近、その教授が定年を迎えたと連絡を受けた。お疲れ様でした。短い間ですがお世話になりました。

そうして長いこと続けていたパチンコ店アルバイターから足を洗い、携帯販売の派遣社員へとジョブチェンジした。パチ屋の時と同じようにバイト検索サイトで時給で降順ソートして適当に決めた。

◆ノジマ 1店舗目

派遣会社の本社に呼び出され、2人1組になって販売員役とお客さん役に分かれて数時間だけロールプレイングを行った。その後、ノジマのオープンスタッフとして派遣されること決まった。

え、研修期間短すぎない?

あれよあれよという間に新店舗オープン準備中のノジマにやってきた。

閑散としたフロアの真ん中にポツンとテーブルとイスが置いてあり、エリアマネージャー(以下エリマネ)と面接をした。

面接といっても、自分と同時に配属されることになった新人派遣社員2人(以下同僚)と一緒と座らされて、やる気の有無などを問われただけだった。

面接のときにエリマネに何かイラッとすることを言われた気がするけど内容は忘れた。

エリマネの顔は圧倒的にジャイアン・ゴリラで無駄に威圧的だった。外面と内面が完全に一致系ゴリラ。「これ、ムリなタイプだ」と直感したゴリラなんてコイツが初めてかもしれない。温厚なゴリラには大変失礼なことを言っている気がする。
 
  
   
オープン準備期間中、朝会にて『ノジマ社長のありがたい考え』みたいな教本が配られて、家で読んでくるように指示された。

なにこれ。宗教か何か?

一応目を通したけど内容は全く覚えていない。これはたぶん自分の人生には必要のないやつだ、と直感したので後日捨てた。
  
   
オープンしてからもエリマネがちょくちょく店舗に現れたが、常日頃から「売れる奴がエライ。売れない奴はダメ」という思考が言葉の端々からだだ洩れていた。そうやって従業員のやる気削ぐのはやめた方がいいと思う。

違う店舗のヘルプに同僚と一緒にエリマネの車に乗せられた時には「お前モンチッチみたいだな」とエリマネが同僚に話し掛けていた。

おい、失礼なゴリラだな。世が世ならTwitterで大炎上セクハラゴリラになっているところだぞ。同僚の女の子は「ひっどーいww」なんて笑っていた。

モンチッチの方が断然大人だった。
 
  
ある日、けっこう重めの風邪を引いた。熱は39度近くで息を吸うだけで咳き込むレベル。メールでエリマネに「風邪を引きました。咳が止まらないので休ませてください」と送った。
直後、携帯電話が鳴る(まだガラケーだった)。エリマネだ。電話に出るボタンを押下。

「おい。休む時は直接電話すべきだろ」

などと仰りやがる。

「わがっえ゛りま゛っっふげっふ ポチッ」

汚い返事をして電話を切った。仕方ないよね。

お前、キライ。

とりあえずしんどいのと気持ち悪さでぶっ倒れそうになりながらクリニックに行って薬を貰った。

帰宅してそそくさと寝直そう…って時に母に見付かり「そんなに熱出てたんなら言えよ」と声を掛けられた。

小馬鹿にされたり口喧嘩になるのがイヤで親を頼りにしようなんて発想がその時にはまったくなかった。まあご飯は頼りっぱなしなんだけど。家事を全く手伝わないダメ人間である。

 

復活してからはそれなりに気合を入れた。スマホを眺めているお客さんの近くにニコニコ這い寄って、セールストークをして、解約料を搾り取るために作られたような胡散臭いフォトパネルもたくさん契約してもらった。

 

働き始めてから2、3か月後。販売台数がスタッフの中で2番か3番目くらいになった。1位はベテラン販売員だった。時給が上がるらしい。やったぜ。

スマホは持ってないしまったく使ったことが無かったけれど、記憶しただけのスマホのスペックやメリット・デメリットをつらつらと説明するだけで買ってくれるものだからチョロい、なんて思っていた。申し訳ございませんお客様。

みんな同じくらい接客していたけれど、何でこんなに買ってくれるんだろう。ぱっと見では分からないパラメータがあるのかもしれない、と少し考えてみた。

人から聞いたことのある自分の印象について、覚えてるものが1つある。

「ぽいプってツイッターではビックリマークよく付けてるけどリアルと全然違うよねw実際の語尾はにょろにょろの伸ばし棒だよねw」と友人のミコトが言った。

うん、自分でもそう思うよ~。外面と内面は必ずしも一致しないんだよ~。

ぼのぼのか。

そんな感じで毒にも薬にもならないゆる~い接客でお客さんが油断して契約してくれたのかもしれない。ありがとうお客様。
 
   
後日「お前使えるっぽいからもっと客が来る店舗にいけ」とエリマネに言われた。うるせーセクハラゴリラ。話し掛けてくるな。

そして結局別店舗に飛ばされた。

同僚と離ればなれになってしまったことだけが少しだけ残念に思う。

飛ばされた先でぽいプに待ち受ける試練とは。

 

次回、刺青店長と酔っ払い派遣社員のぽこちん疑惑。

気が向いたら、また。

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コメント

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